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ショラーヴァスティで一晩滯在してから、今日の午前の主な行程はカピラヴァスト(迦毘羅衛城、Kapilavastu)に行った、即ち仏陀では太子の身の時代の故郷だけである。
この城市はネパ-ルダの南部のチロリ•コト(Tilori-Kot)に位置して,またラプチ川(Rapti)の東北にあります。カピラヴァストはただコーサラ国の徒属国で、その時北インドは共和制度を実行して,主なのは十の小さい城から国で構成しました。
また一番勢力がある城主を推選して指導者になら、仏陀のお父さん淨飯王(King Suddhodana)はその時の指導者でした。
私達の行程の中に遺址を見たものは淨飯王の古い皇居を見付けました。
カピラヴァストの部群が釋迦族(Śākya)を主にして、だから仏陀の名前でよく釋迦牟尼(Śākyamuni)を見ると実は釋迦族の聖人(muni)を指した。仏陀本当の名前はシダッタ(悉達多、Siddhartha)でした。仏陀の晩年に彼の釋迦族人は遭ってコーサラ国の淨琉璃王(King
Virūdhaka)は虐殺しました。
族殺の後のカピラヴァストにはこれから荒れすたれられた、5世紀の初年に法顯はここに到着した時ただ十間の民家に会った、8世紀玄奘はここで佛塔とアショカ柱に会った、この石柱についてはもう1897年に掘り出されました。
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